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マーダー・ア・ゾンビ


「なんで、ゲームに出てくるゾンビはみんなジーパンを履いているんだろう」

   純一は新作のアクションゲーム『マーダー・ア・ゾンビ』をプレイしながら何気なく言った。

   僕は、そんなことを唯の一度も考えてことがなかった。ゾンビが登場するのは外国の話だから、洋服を着せておけばいい。ジーンズなんて簡単に思いつくのだから、それでよかったのだろう。しかし、僕はそれについて考え出すと、その素朴な疑問がとても気になった。純一が帰ってからも、『マーダー・ア・ゾンビ』を長いことプレイしていた。どこで会うゾンビも大体はジーンズを履いていた。たまに全裸というゾンビもいたけれど。ジーンズ以外の服を着たゾンビには一度も会わなかった。ジャージを履いているゾンビや、高級なタキシードに身を包んだゾンビにも会っていいはずなのに、会うゾンビ会うゾンビ、みんなジーンズだった。僕はゾンビのジーンズ率を計算しながらプレイした。そこにだけ集中してプレイしたから『マーダー・ア・ゾンビ』というゲームに対して、何も恐怖感が湧かなかった。結局、ジーンズ率は、88パーセントだった。その他は、全裸だったか、下半身がないゾンビだった。なぜここまでジーンズ率が高いのだろうか。

   もしかすると、ゲームの舞台となった街はジーンズ好きの住民で成り立っていたのかもしれない。ジーンズを扱う店が沢山あって、しのぎを削っていたのかもしれない。さらに古着屋のガラスケースの中には、ビンテージの古着ジーンズが何着もあり、それを目当てにして、いつか絶対に買ってやる、と言い、移住までしてきたジーンズマニアまでいたのかもしれない。街では年に一度、ジーンズ交換会が催され、人々は自慢のジーンズを持ち寄って、気に入った相手のジーンズと交換を行なっていたかもしれない。僕もリーバイスのジーンズに一時期のめり込んでいたから、わからなくもない。とにかく街中がジーンズで賑わい、成り立っていたのだ。僕は、その光景を思い描いた。なんて夢のある町だったのだろうか。ジーンズがあるから、みんなが笑顔でいるのだ。世の中にそんな街の一つや二つあってもいい。

   その街も今では、ゴーストタウンになってしまった。いや、ゾンビタウンになってしまったのだ。ジーンズが原因で壮絶な紛争に発展してしまったのかもしれない。ジーンズがすべての街なのだから、有り得なくもない話だ。そのジーンズ紛争のために、住民達からは笑顔が消え、傷つき、息絶え、腐敗し、ゾンビになってしまった。ゾンビたちは、街をさまよっている。生前の面影などどこにも残していないのだ。ただ一つ、生前大好きだったジーンズだけはちゃんと身につけている。ゾンビには、個人的にベストジーニスト賞を受賞させてやりたくなった。

   しかし、どうして上半身は裸なのだろうか。ゾンビになる過程で何かとてつもない衝撃のようなものが住民を襲ったのだろうか。その衝撃によるダメージのせいで、上半身に来ていたTシャツなどはもろくも消え去っていったのかもしれない。結果として、丈夫な生地のジーンズはその崩壊から免れたのだ。たまたまジーンズを着ていなかったか、持っていなかった人々はそのなんらかの衝撃のために全裸になってしまったのだ。

『マーダー・ア・ゾンビ』というゲームは、暗黙的にジーンズを宣伝しているのかもしれない。ジーンズほど丈夫なものはない、皆さん、ジーンズを履きましょう、と言っているのだ。舞台が海外だとか、そういった意味合いなどこれっぽっちもなく、単にゲーム会社がジーンズメーカーと暗黙的な提携のもとに企画したことに過ぎないのだ。僕は、ここまで考えると、自分を無理矢理に納得させて、ゲーム機の電源を落とした。

   

   僕は、ゲームばかりしている暇はない。ゲームは大好きだけど、これからもゲームをやり続けるためには、それを支えるために働かなければならない。明日から、就職活動を始める予定だ。
   純一は、たまに僕のアパートに遊びに来るけれど、普段は忙しいサラリーマンだ。そのサラリーマンがたまに僕の家に来て、夜も眠れなくなるようなことを言って帰っていく。純一は、そうした疑問をいつも僕にぶつけ、僕が考え込む度に

「考え過ぎだよ。俺が言うことには別に深い意味なんてないよ」といった。

   僕はそんな純一の言葉にも耳を貸さなかった。


   ハローワークの求人情報を検索しながら、僕はゾンビのことを考えた。ゾンビはどうやって想像しても、ジーンズを履いていた。僕の想像力が乏しいせいなのか、先入観から抜け出せないためなのか、とにかくゾンビはジーンズに上半身裸の状態でゆっくりと歩いていた。僕の目の前には、ゾンビがいるせいで、パソコンの画面で僕は何をしているのかわからなかった。気づいたときには、応募する気がまったくないような求人情報を見ていた。ハローワークの相談窓口でも、自分がどんな希望も持っているのかがちっとも伝えられなかった。ハローワークの職員は、困った顔をしていた。僕は、それさえも気にならなかった。結局、どんな仕事内容かもわからない紹介状を三枚も貰った。

   電車に乗っている間、僕は窓の外をぼんやりと見ていた。もうすぐ綱島駅に着こうとしているという辺りで、線路は川を渡る。僕は川の堤防に座っている一人の青年に目が移った。青年は、何をしているのかわからなかった。本を読んでいたのかもしれないし、川の水面を眺めていたのかもしれない。釣りをしていたのかもしれない。しかし、僕が注目したのは、青年が履いているのがジーンズだということだった。

   青年の履いているジーンズは、リーバイスの501に違いない。ジーンズの中でも最もポピュラーなそれを、僕は十本所有している。だから、遠くからでもそれがわかった。僕は、電車で通り過ぎながら、青年のジーンズに目が釘付けだった。もしかしたら、その青年は、青年ではなく、中年だったのかもしれないし、子どもの服を借りて着ている主婦だったのかもしれない。結局、顔なんて全く見てはいないのだ。僕が見ていたのは、リーバイスの501なのだ。

   川辺のリーバイス501を通り過ぎると、僕は自分の履いてきたズボンがなんだったのか急に気になった。僕はジーンズを履いていなかった。純一に言われてから、ずっとゾンビにジーンズ、というものが頭にこびりついてしまい、普段極力気にしないためにも自分はジーンズを履かないようにしていたのだった。結局、それも無駄なことだった。自分が履いていない分、今度は他人のジーンズに目が行ってしまう。僕は、気が付くとジーンズを履いた他人、いや、他人が履いたジーンズを目で追っていた。

   今まで気にならなかったけれど、世の中、ジーンズを履いた人々で溢れている。1950年代のアメリカ映画の影響で、丈夫な作業着から一躍ファッションにまで躍り出て、今では日本人のほとんどが所有している代物になってしまった。ジーンズというものを改めて考えてみると、なんとも不思議で、魅力的なものなのだと思う。ゾンビたちが愛用している訳もわかるような気がした。

   僕のゾンビにジーンズ、という組み合わせが気になる症状も1週間足らずで完治した。ある日、朝起きたら治っていた。治ったことも実感できなかった。自分がジーンズのことが気になっていたのも覚えていないほどだったからだ。僕にそんなことが数え切れないほど沢山ある。

   結局、悩んだからといって得られるものがあるとは限らない。すべて無駄だと言えば無駄なのだ。それは生きる意味について考えることと同じようにも思える。生きる意味なんて考えたって、正確な答えなんて得られない。誰に聞いたって違う答えが返ってくる。それは外部に求めることではなく、あくまでも内的なものなのだ。生きる意味なんて、己の内部に見出すしかない。生きる意味は、誰かが知っていて教えてくれるようなものではない。ぼんやりとしていて、掴もうとしても掴めないが、その辺りにいつもふわりと浮いているか、あるいはかちかちと固まって、足元に落ちているものだ。最終的に自分で決めてしまえ、と言って納得しようとしたけれど、今でもよく悩む。

   僕に限らず、誰しもが僕に類似した悩みを抱えて生きているのかもしれない。例えばだが、外的に悩みの解決を見出そうとする場合、ぼくはそれに関しては賛同を求めない。俺は違う、という人間こそ、僕が探し求めている人物なんだ。なぜなら、僕と同じような人間がいくら集まったところで、結局は悩みが何かに帰結していくことはないからだ。まあ、これはあくまで外部に悩みを打ち明けた場合でのことだから、こんなことを言う意味はまったくない。

   僕は、これからもちょっとしたことに悩んで生きていかなければならないと思うと、面倒になった。考えなければ、面倒だとは思わなかっただろう。現在の思考から先を見ることは大切かもしれないけれど、同じくらい煩わしいものだ。

   「ゾンビはいつもジーンズを履いている」という大して考えなくてもいいような事実について悩んでしまうような面倒な事、それを常とするか、冒険(過剰な悩みは死の危険性だってある。そう考えると冒険的とも言えるだろう)と捉えるかは僕の自由だ。僕らに与えられた自由は、そういうものなのかもしれない。それは自分勝手ではなく、紛れもなく自由と呼べるものだ。捉え方は内的問題で、外的になんら影響のないことだからだ。


「あのさ、この小説おもしろいから貸すよ」

   純一は、僕の家に来て、玄関で一冊の小説を僕に手渡すと、そのまま帰っていった。僕は小説なんて読まない人間だから、タイトルも見ずに本棚の奥の方へ放り込んでしまった。それにしてもなぜ純一は、すぐに帰ってしまったのだろうか。僕は純一のケータイに電話したけれど、純一は出なかった。何かあの小説に意味があるのかもしれない。伝えたいメッセージが託された小説なのかもしれない。そうだ、それしか考えられない。どうしても読んでもらいたいから、僕に手渡したのだろう。僕は、一度読む気にもならなかった小説をすぐに本棚から取り出した。気になったら止まることのないものが、僕の中で暴走を始めた。

   僕は、純一が忙しいから、おもしろい小説だけ渡して、仕事に向かったなどと考えることなどしなかった。その行動には何か絶対に意味が付属していなければならなかった。

   僕は、意味を見つけようと必死になり、小説を読み耽った。結果としてわかったことは、その小説がおもしろかったということだけだ。どこかに純一がどうしても伝えたいというようなことは見出せなかった、というより、わからなかった。おもしろかったという単純な印象以外に何も出てこなかった。

   友達は、用がなくても会うものだ。そこに意味なんてない。意味づけるような作業をしてしまうことが、友情への疑いではないだろうか。ただ、一緒にいたいと思えば、そうしたらいいだけの話だ。

   僕は友人のあり方について考えていると、いつの間にか海辺まで歩いていた。借りた小説を手に持ったまま出てきたようだ。そこには誰一人としていなかった。僕しかいない。風に舞い上がった砂を浴び、海の匂いが漂ってきた。僕は、砂の上を一人でゆっくり踏み締めながら歩き続けた。純一にはあれから会っていない。何十回と読み返したためにボロボロになった小説は、ほとんど暗記してしまった。この小説は、新しいものを買って返そう。

   風が止んだ。海辺の時間が止まったかのようだった。僕は、不図純一の声が聞こえた気がした。

「考え過ぎだよ」

「そうだな」

   僕はあの時の純一に向かって言った。

2009/03/13   たびびと

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