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便秘


   処方されたのは、酸化マグネシウムだった。常用している薬の副作用のため、Kは酷い便秘に陥っていた。かれこれ一週間は出ていないそれは、腸の中でいつ出てやろうかと企てているかのように蠢き、Kの腹部を膨張させていた。下剤を処方されたこともあったけれども、Kはそれを嫌って飲まなかった。それでこの度、酸化マグネシウムなるものが新たに処方された訳であった。
   Kが仕事のストレスで薬を常用することになったことは仕方のないことであったが、後がよくなかった。酷い便秘とそれがある日、一度に出るという恐怖にKは慄いた。
   Kは痔だった。一週間、Kの中で潜んで水分を吸収されつくし、石のように固まったそれは、Kの直腸を傷つけずにはいられなかった。使用後の便器は鮮血で真っ赤になった。Kはそれを見ては卒倒するのだった。
   酸化マグネシウムがどのような働きをして、便通を促すのかKにはわからなかった。とにかく、一週間で造り上げられた石のような硬さのそれと格闘するくらいならば、二三日置きに出てくれる軟弱なそれの方がまだましだとKは思った。

「先生、酷い便秘なんですがね。死んでしまいたい」とKは言った。

「君は、ちょっと危ないから、今処方している薬はまだ減らせないねえ。とにかく便秘が改善されるようにしてみましょうか」と主治医の松川は言った。この主治医は俳優の西田敏行に似ていることから、Kは密かに「浜崎先生」と言っていた。映画『釣りバカ日誌』のファンだったからであった。

「お願いしますよ。浜崎先生」とKは口走った。

「私は松川だ」と松川は顔をしかめた。

「とにかく出血が酷くて、痛みも凄まじいんです」

「君ね、それは肛門科に行った方がいいよ」と松川は当たり前のことを当たり前に言った。こうして酸化マグネシウムが処方されたのだった。

   酸化マグネシウムは、腸内で水分を吸収し、腸の運動を促すため、便秘には効果があるということである。

   かくしてKの便秘は改善されるかに見えた。ところが、三日が経過しても、それは頭すら出そうとしなかった。Kは、今頃自分の腸の中で石のように硬くなっているそれに恐怖した。

   Kは三週間に一度のペースで、主治医の松川の元へ通っていたが、便秘のことが気になりすぎて、通院した三日後にはもう主治医の元を訪れた。松川はこの事態に益々顔をしかめた。

「君ね、医療費だってバカにならないだろう。だから、私は三週間に一度のペースにしたのだがね。それにはっきり言ってこっちは忙しいんだよ」と松川は言った。

「いや、便秘が改善されないんですよ。この前、処方されたあのなんだっけ、二酸化マンガンとかいうの、全然ダメじゃないですか!」とKは過呼吸の発作を起こしそうになりながら、手を振り回すように大げさなジェスチャーを交えて叫んだ。

「二酸化マンガンなんて処方せんよ。酸化マグネシウムだよ。それにまだ三日しか経ってないじゃないか。効果が現れるまでにはそれなりに時間が掛かるよ」と松川は冷静に言った。

「ああ、あの鮮血はもう二度と見たくないんだ。死にたい!」

「君ね、肛門科に行ったのかね?」

「行くはずがないですよ」とkは自信たっぷりに答えた。

「のうして?」

「いや、便秘になったのも、ここで処方された薬のせいじゃないですか。大体、副作用が強すぎるんですよ。こっちは体調がよくなるどころか、副作用のせいで逆に体調がどんどん悪くなってますよ、浜崎先生」とKは興奮していたために、また主治医の名前を間違えた。

「私は松川だ」とまた主治医は顔をしかめた。


「先生、ぼくは職を失いましたよ」とKは言った。

「それは私のせいじゃない」と松川は言った。

「確かにリーマンショックはとんでもないことをしてくれましたよ、リーマンショックは!お陰で鮮血が酷いんです。痛みも相変わらず凄まじい。職もない。死にたい」

「とにかくねえ、Kさん、あなたはまず肛門科を受診したまえ。近所に肛門科をやっている知り合いがいるから紹介するよ」

「いや、肛門の前にね、肛門やら塩化ナトリウムだとかじゃなくて、ここで処方された薬の副作用が重いんですよ」

「塩化ナトリウムは食塩じゃないか。君、この前処方したのは酸化マグネシウムだよ」

「そんなことより、出血が酷いんですよ、浜崎先生」

「私は松川だ」

2009/10/30   たびびと

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